5月28日、日本赤軍の元最高幹部、重信房子が20年の刑期満了で出所した。
彼女と私は明治大学の同学年で、彼女が共産主義者同盟(ブント)の幹部なのに対し、私は一般学生の多くが参加していた「ベトナムに平和を市民連合」ベ平連のノンポリでした。
学内でメガホンでガ鳴りあっても、彼女のアジ演説にはまったく歯が立たちません。
中核、社青同、民青など、誰がどの派か分からず、若い熱にうなされ、多くの学生が命がけだと思ってやっていました。
ウチゲバで、学内で死人も出ました。
お茶の水駅前の明大通りを「カルチエラタン」と称して占拠、そこに最強の警視庁第7機動隊が突入。
負け戦で、一般学生は仲間を蹴倒して逃げました。
恐怖に駆られて逃げる学生により、一挙にバリケードが壊滅。
足を負傷して血だらけになっていても、誰も助けてくれません。
機動隊のこん棒が、あんなにも固くて痛いとは知らなかった、、、。
近くの三楽病院に収容され手当てを受け、裏口から逃げようとしましたが、すぐ捕まって淀橋警察(現新宿警察署)に護送され、板敷の留置所で一晩を過ごしました。
翌朝、お腹が空いて目が覚めました。
アルミボール一杯のお粥が出たのですが、それがなんとすごく旨い!
私が「お代わりお願いします!」と言うと「バカ!出るわけないだろう!」。
でも、そのあと全員にコッペパンを配ってくれました。
重信房子が逮捕されたとき、熱病にうなされていた青春の1ページが確実に終わった、、、と思いました。
彼女が刑期を終えて出所したのを新聞で見て、ゲバ棒を持った彼女の姿が目に浮かび、切ない思いに襲われます。
普通の真面目な女子大生が、どうしてこんな過酷な人生を送ることになったのだろう?
救いは、立派な娘さんがいることだ。
平和ボケが蔓延した今の日本では、想像も着かないことだが、先の大戦で唯一地上戦が起きた沖縄で旧軍の組織的戦闘が終了した今日、普天間を辺野古移設を強行しようとする政府与党の平和ボケは、矯正が必要である。